StatsBeginner: 初学者の統計学習ノート

初学者が統計学、機械学習、R、Pythonの勉強の過程をメモっていくノート。

数学を勉強しても役に立たないが、「数学化」を学ぶことは役に立つ?

数学は役に立つのか

 数学は何の役に立つのか?という、よくある疑問についてのエントリを読みました。


「数学は役に立つ/立たない」について思うこと - 31歳からの数学修士

「数学が何の役に立つ?」と疑っている人でも、数学が本当に何の役にも立ってないとは思ってないはずです。科学者や技術者が数学を使ってることは知っているだろうし、現代の生活を支える技術に何かしら数学が関わっていることも想像できるはず。


 というのはそのとおりで、大人が「数学は役に立たない」とか言ってる場合、それはほとんど「俺個人が日常生活を送る上では、三角関数や微積分の知識を必要とするような課題に遭遇することはない」というだけの話です。
 しかし子どもが「数学を勉強して何の役に立つの?」と聞いてきた場合はけっこう厄介ですね。上記のエントリでは

「数学は役に立つ」というと、その知識が直接仕事に使えなければならないような気になりますが、その狭い意味において数学が役に立つ仕事は限られています。より広い意味での「役に立つ」については、数学に限らず、何かを深く学んだ経験全てについて言えることなんだろうと思います。


 と書かれてますが、要するに直接的な役立て方と間接的な役立て方があるということで、子どもの場合は将来的に、いずれの役立て方も経験する可能性があります。
 子どもが理解するかはともかくとして、学校でなぜ数学が教えられるかといえば、3つぐらいのレベルがあって、直接的な役立ち感が高い順に、


 「生徒の一部は、将来、数学の理論を実際に利用する技術者等になる可能性があるから」
 「数学的なモデルが、比喩として、間接的に物事の理解を助けることがけっこうあるから」
 「数学を通じた思考のトレーニングによって頭がよくなるから」


 みたいな話になるんでしょう。
 
 

フロイデンタールの数学教育論

 数学が「広い意味」で「役に立つ」ことについて論じられたものとして、数学者であり数学教育学者でもあるフロイデンタールという人の、"
Why to teach mathematics so as to be useful"という講演があります。1968年に行われた数学教育に関する国際的なカンファレンスの基調講演か何かで、フロイデンタールは数学教育の現状が「役に立つ」からかけ離れたものであることの問題を語っています。


WHY TO TEACH MATHEMATICS SO AS TO BE USEFUL


 有料なので、概要を以下に書いておきます。

  • 数学は、非常に小さな量の知識でありながら多くの状況に適用されるという点で、他の教育科目と大きく異なる。また現代の数学研究は、この知識をさらにシンプルにし、フレキシブルにする営みであるとも言える。
  • 数学の最大の特徴はその柔軟性(flexibility)にあるのだが、生徒に教える上ではジレンマがある。最も抽象的な数学理論こそが最も柔軟である(応用範囲が広い)と言えるのであるが、多くの人はその柔軟性を活用する能力を持ってはいない。一方、具体的なコンテクストに即して数学を教えようとすると、数学の柔軟性が犠牲になってしまうのである。
  • 数学教育には2つの極端な立場があり得る。一つは、数学理論は教えるがその「応用」はすべて生徒に任せるという立場。もう一つは、具体的なコンテクストに即して「役に立つ数学」を教えるという立場。
  • ほとんどの生徒は数学理論を自分の力で応用することなどできないから、前者は非現実的である。一方「役に立つ数学」は、具体的なコンテクストが固定されていて変わらなければ完璧に教えることができるだろうが、数学の真の価値はコンテクストを乗り越えて繰り返し利用可能な形式の知識を作り上げる点にあるのだから、本末転倒である。
  • これら2つの立場を折衷して、「純粋な数学理論を教えた後に、その応用を教える」ということが考えられるかもしれないが、これはたいていうまくいかない。この順序ではダメなのだ。
  • 足し算引き算みたいな初歩的な算数を教えるときは、先生は「私は10マーブル持っています。3マーブル使うと何マーブル残るでしょうか」みたいな具体的な例からまず始めて、その後も繰り返し具体的な例に戻ってくる。しかし分数を教えるあたりから、なぜか具体的なコンテクストをまじえなくなる。たぶん先生も、具体的なコンテクストにおける分数というものを知らないからだろう。そしてそれは、その他の数学の大部分についても言えることだ。
  • 先生が数学の知識を具体的なコンテクストに応用できるとしても、なぜそんな応用ができるかを彼自身が理解しているとは限らないし、それを人に教えられるとも限らない。
  • またやっかいな問題として、数学の教科書はまったく、役に立てることを目指して書かれていない。もともと算術や幾何学は「現実世界を数学化すること」(mathematizing reality)から始まったはずだが、古典ギリシア時代ぐらいから、数学そのものが数学化の対象となって、理論がどんどん発展していったのである。
  • 数学はもともとは「現実を数学化」する営みであり、ほとんどの人にとってそれこそが数学を学ぶ最終目的でもあるのだが、一部の人々は数学そのものの数学化を推し進めていって、非常に洗練された体系を作り上げた。
  • 「体系化」は数学のすばらしい美点(virtue)であり、学生はそれを学ぶべきであるが、重要なのは体系化の「活動」そのものであって、「結果」ではない
  • 体系化の結果は美しい閉じたシステムで、入口も出口もない。完成度の高いシステムは、機械によって処理することすらできる。しかし機械が扱えるのであれば、もはやそれは人間が学ぶ必要はない。人間が学ぶべきなのは、閉じたシステムとしての数学ではなく、現実を数学化する(そしてできれば数学をも数学化する)活動やプロセスなのである


 ついでに、上記の話を解説した日本語の記事を見つけたので貼っておきます。
 Hans Freudenthal と Hyman Bass の 数学教育について


 考えてみると、統計学やプログラミングの勉強も同じようなものかもしれないですね。理論やアルゴリズムを知ること自体にはあまり意味はなく、現実の問題を、仮説検定や統計モデリングや機械学習の問題に変換することこそが生産的な営みなので。
 そして、理論を学ぶことと、現実を理論化するノウハウを身につけることは、確かにある程度別モノな気がします。学術研究の典型的なパターンについていうと、何か仮説を思いついたとして、それを証明するためにはまず仮説を(場合によっては幾つかの)論理的に明晰な命題に変換し、反証可能な形(帰無仮説)に変形して、実験や調査を通じて得たデータによってそれが統計的に反証されないことをもって「仮説は支持された!」と言うわけですが、この思考手順そのものは統計理論とは別に学ぶべきものです。


 しかし、「数学の体系」ではなく「数学化」や「体系化」のプロセスを教えるのだというのは、言いたいことは分かりますが、実践するのはめちゃめちゃ難しいと思いますね。「純粋理論を教えた後に、その応用を教える」という方法も、だめなのかというと、それしかないような気もします。
 まぁでも、数学教育学者として、とにかくそこに大きな課題があるということを指摘するのは大事なことだったんでしょう。
 私は数学の勉強をほとんどしていませんので何も偉そうなことは言えませんが、我々が受けてきた教育はどちらかといえば「抽象理論としての数学を学び、その後に、というかそれとは別に、その応用を学ぶ」という感じだと思います。「数学化」に重点を置いた教育というのは、我々がまだ未経験のもので、なんかうまくやれば別世界の数学教育があるのかもしれません。